畠山重篤
命と地球をはぐくむ「鉄」物語
鉄は魔法使い
小学館(2011)

概要
「森は海の恋人」をスローガンにした山への植林活動は、気仙沼の漁師さん達の手によって1989年から始まり、今や全国的な活動へと展開しています。
また、「森の栄養が海を育む」と云う話は、良く知られた事実として、当たり前のように見聞きする機会が増えたようにも感じます。
現在放送中の朝ドラ『おかえりモネ』に登場する主人公のおじいちゃんもまた、森に木を植え、カキ養殖を営む漁民ですが、まさしく今回ご紹介する著者がモデルなのだと思われます。
本書は、タイトルが示すように「鉄(Fe)」が主役です。勿論、「森は海の恋人」が主題として重要なテーマであることに代わりはないのですが、「鉄」こそが、その核心的役割を果たしてくれることと、生命にとって大変重要な元素であることを、難しい化学式や専門用語をつかうことなく、分かりやすい語り口で、ありありと語ってくれる図書となります。
ガツンとやられる
三陸は、私にとっても思い出深い場所の一つです。学生だった頃の3年間を大船渡市で過ごしました。「森が海を豊かにする」や「鉄をまくと植物プランクトンが湧く」などの話は、それこそ、要約されながらも講義などで聴いていたことを思い出さす訳ですが、本書を手にとるまで、その真の意味を理解していなかった事実に大いに恥じ入ることとなります。
気仙沼にも良く遊びに行きまし、ワカメ刈りやシラス漁、ウニ剥きなど三陸の漁師さんのお手伝い(アルバイト)を通しても、多くのことを学んだはずでした。カキ、ホヤ、ホタテ、ウニ、アワビ、サケ、イクラ、マツカワ、マグロ、ドンコ、アンコウ、マンボウ、イルカ、etc...三陸の豊かさを3年掛かりで、身体でもお口でもお世話になっていたはずなのに!
なるほど、お口ばかりでお頭を働かせていないではないか!
学生の身でありながらその恩恵をもたらしている理論について、深く掘り下げようとしなかったことは、、実に愚かで惜しいことをしていたのだと思い知らされたわけでした。
私が水産高校生だった頃から数えれば9年間も水産を学び続けていたにも関わらずです。しかも専攻していたのは増養殖...。なのに、森、鉄、川、海が私の中ではひとつなぎに繋がってはいなかったのです!
もはや絶句レベルだったわけですが、本書後半では、感動で涙を流していました(笑)。
ガツンとやられたのです。
畠山さんの著書を手に取ったのは、つい最近、しかも陸上養殖の世界から去った後でした。
今更ですが、本書を手にしたきっかけは、2つです。
まずは、業界を去った後でも、循環式陸上養殖を取り巻く世界に対するもやもやが拭い切れていなかったこと。
そしてもう一つは、山に面する現職場より、森を眺める日々の中、その生産性の高さに改めて感動を覚え始めていたからだと思います。
循環式陸上養殖の場合、死骸や残餌、排泄物などの有機物=汚れとなります。これに対して、森の地表には、大量の落ち葉に虫など、その死骸も含めて一面を覆っているわけですが、空気は美味く、ちょっとした斜面を流れる水も美しく、そこからは、取り切れないほどの山菜が毎年出てくるのです。
循環式陸上養殖と森林では、条件がまったく異なるため、比較すべき対象ではないのですが、何か思い違いをしているような、何とも言えない複雑な気持ちに駆り立たされていました。
そんな頃、子供の本棚に並べられていた1冊の絵本『カキじいさんとしげぼう』に目が留まります。妻がずいぶん前に子供用に購入し、「買うにはまだ早かった」と笑いながらも並べていた絵本です。これがまさしく畠山さんの著書だったのです。
「これだ!」と、畠山さんの他の著書を調べ、「鉄」を謳う本書にまず目が留まることになりました。
本書の魅力
大切なモノを守るため、実直に行動し、沢山の出会いを繋げて、本当に守ってみせる。
そして、本書タイトルにある「鉄」は、冒険モノの物語には欠かせないキーアイテムとしての「クリスタル」や「賢者の石」、「きび団子」さながらに、ヒーローの手に委ねられ、「善」の為に使われます。そして、多くの人の心を動かし、活動は現在進行形で広がっている。
正に本物のヒーロー物語!
これが魅力です。
人の営みに思いをはせて
本書の後、すぐに著者の代表作である文春文庫の『森は海の恋人』を入手しました。
くっ...
まだまだ浅い読書遍歴の中ではありますが、ベスト5には入る良書となりました。
著者の幼少期から始まり、山の恵みと海の恵みが、その地域内で行き来していた頃の話から展開していきます。
当時の海や山、生物の様子、そして著者が親しんだ漁具・漁法との深い関りを教えてくれます。まさしく漁師町の原風景的営みを垣間見せてくれるのですが、その表面だけをなぞるのではなく、生粋の漁民である著者だからこそ語れるのであろうリアルな息遣いと心情面と共に、ありありと語られていることに感激することになりました。
勿論、古き良き日本をもう一度などと過去を賛美し、短絡的に回帰しようとするようなものではありません。
むしろ、過去に残されていた「豊かさ」の核心に迫り、今起きている問題解決のために、「森は海の恋人」運動へと変換されて力強く行使されることになります。
幼少期からの自然を相手にしてきた著者の豊かな経験と出会いがあったからこそ生まれ出た結果なのだろうとも思うのですが、こうした発想力と実行力の様は、あとがきでも寄せられておりますが、「実学」とは何かを見せつけられた思いでした。
理を知ることの意味を改めて教えてくれます。
気仙沼湾は古くから全国有数の漁港として賑わってきたが、船の航路以外の海面は、牡蠣、帆立貝、昆布、若布の養殖漁場であり、養殖筏で埋め尽くされている。
因みに気仙沼地方の水田の面積は約九百ヘクタールしかないが、実は海に三千ヘクタールの水田があると言い換えることもできる。湾内に浮かぶ養殖筏一台は、水田一ヘクタールに匹敵する経済的価値を有している。しかも、二枚貝や海藻の養殖には、餌も肥料も施す必要はない。それだけに私も含めて漁民は、貝や海藻がなぜ育成するのかも考えることが少なかった。
(北海道大学の松永教授との会話も引用します↓)
海水に鉄分を入れて育てた昆布と、鉄分を抜いて育てたコンブとの比較が映し出され、その違いが鮮やかであった。
北海道は最大の昆布の産地ですが、良質の昆布産地は全て河口ですよ。昆布だけでなく、たとえば、函館湾に流入する久根別川河口の生産量は、1立方メートル当り、1年間におよそ1キログラムのプランクトンを生産する力があり、これは熱帯雨林と同じくらいの力なのです。つまり、川が影響している身近な海は海藻や植物プランクトンが繁茂し、いわば海の熱帯雨林だと言うことです。
ですから、良い牡蠣を養殖するために、山に広葉樹を植えるというあなた達の活動は、とても理にかなっっているということです。――
――そういわれてみれば、気仙沼湾でも昔から雪代水といって、春先、雪解け水が下がってくると、海苔や若布の色が良くなったり、牡蠣や帆立貝も急に花が咲いたように伸び出すのも、そんな科学的背景があるのかもしれない。物事を知らないというのは、大変な過ちを犯すことになるんだなあと、目から鱗が落ちる思いがしたのであった。
畠山重篤(2006)『海は森の恋人』文春文庫,P88とP162.
自然を相手にした一次生産に携わらず、自分の森や海を持たない私などにとっても、その流れを知れば「森は海の恋人」運動の下流側でその恩恵を受けていることが分かります。
一方で、私など一般民衆的な市民生活を過ごす個人にとっては、どうしても日常的かつ皮膚感覚として、森や海の恩恵を直接的に感じ取ることが難しい立場です。ある種の皮膚感覚としてビシビシと感じられるのは、優れた物流網の発展によって、欲しいモノをすぐに手に入れられる高度な社会インフラの恩恵です。モノと人が世界中を行き来するようになったグロバール社会そのものの中から間接的に恩恵を受けている立場と言えるのかもしれません。
そういった意味では、これら高度な社会インフラにどっぷりとつかる立場としても、これを成り立たせている理を知ろうとしなければ、今日的な地球規模の環境を含めた諸問題も、数多ある開発や支援の方法も、大変な過ちを犯すことになるのだろうと改めて啓蒙される思いがしたのでした。
話がそれて来ておりますのでこの辺で。兎に角、残しておきたい最高の一冊(著者)です。
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